2010年2月11日木曜日

久々MTBですっ転ぶ&戦艦大和の最期(戦闘直前)

 2月10日は朝、軽ーくローラー
ave 
速度28.6km/h
 心拍125bpm
 ケイデンス88rpm
 時間30’11’1
max
 速度35.7km/h
 心拍144rpm
 ケイデンス108rpm
 時間30’11’1

2月11日、3本ローラー負荷真ん中に上げ10分間アップ、20分間は30秒130rpm、1分半流しを繰り返すインターバルを行った。

ave
 速度33.7km/h
 心拍149rpm
 ケイデンス101rpm
 時間30’07’0
max
 速度49.5km/h
 心拍173rpm
 ケイデンス135rpm
 時間30’07’0

 さらに11日は午後にMTBのタイヤをスパイクに取り換え、冬は初めての外乗りとしてスタートしたが道路がスケートリンクの轍状態で、ご近所のところで思いっきり「ずるべったん!」とすっ転ぶ。精神棒で殴られたような尻の痛みにしばらく起きれなかったが、小学生が3人遠くから転んだ自分を指差していたのですっくとやせ我慢して立ち上がり走り去った。まだ痛い。ところが少し乗っただけで初めて外で着たaccu3D subzeroに油交じりの突っぱねの泥がいっぱい腕や背中にかかり、すぐに帰宅した。あーもったいない。
 12日朝は6時起床で7時までMTB、今年初の外朝連だ。イタンキ海岸で朝日を見ながら缶コーヒーを飲んだ。ペダリングが非常に軽く3本ローラーの効果を実感したと思った矢先、ふと見るとフロントギアが真ん中だった。

 それでは私の本棚 吉田満著「戦艦大和の最期」戦闘編の前篇です。そろそろ疲れてきましたけど頑張りたいと。。。と、ここで思い出したように冒頭の出航前の場面におもしろい一節があった。
「四十歳を過ぎたる老兵の処置を如何にせんか 戦闘上ほとんど無力なるは明らかなり」だって、さらに「青年士官相はかり 彼らの退艦を艦長に具申」だと、つまり40歳以上は役にたたないから退艦させられていたのである。まったくトホホである。。

 大和は広島県の呉を出航し、一旦北に向かい三田尻沖で仮泊、ここで沖縄へ向けた特攻であることを知らされる、その後南に向かい福岡、大分、宮崎、鹿児島と九州の東側に沿ってジグザグに南下するのであるが、三田尻を出発する時がいよいよ出撃ということになる。

「「大和」はここに戦闘準備を完了す
最期の出撃に乗りこむ栄に浴せる者、総員三千三百三十二名
1600(四時)出航「両舷前進微速」 艦隊針路百二十度
旗艦「大和」 第二艦隊司令長官伊藤整一中将坐乗
これに従うもの、第二水雷戦隊所属の九隻、巡洋艦「矢矧」以下、駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「磯風」「浜風」「初霜」「朝霜」「霞」 ことごとく百戦錬磨の精鋭なり
日本海軍最後の艦隊出撃なるべし 選ばれたる精強十隻・・・
精気を秘めて真白き波濤を噛む僚艦 矢は放たれたり
交代して哨戒直に立つ哨戒当直の将校なり 艦の心臓かつ頭脳たる艦橋の中央に勤務して、艦内十六箇所に配置せる見張り員を掌握し、その報告を取捨選択して艦長以下各幹部に復唱直結するを任務とす 警戒航行中最も重要なる当直なり 右二米に長官(中将)、左一米に参謀長(少将) 新参の学徒兵として、この身の幸運を想う 
「大和」舷側に横波を蹴立ててひたすらに進む 艦体構造の無類の耐波性により全く動揺なく、艦橋にあればさながら大地に立つごとき錯覚を起こす 
今我ら十隻を貫く一筋のもの、この潮流を冒して驀進す
1800(6時)総員集合 正装 最後の総員集合ならん 解散せばやがて戦闘配備に着き、再び集合の機会なし ただ配置にあって、渾然一体の戦力発揮を期するのみ 
すでに作戦発動せるため、艦長、艦橋を離るるを能わず 副長代わって、連合艦隊司令長官より艦体宛の壮行の詞を達せらる
「帝国海軍部隊ハ陸軍ト協力、空海陸ノ全力ヲ挙ゲテ、沖縄島周辺ノ敵艦隊ニ対スル総攻撃ヲ決行セントス
皇国ノ興廃ハ正ニコノ一挙ニアリ
ココニ特ニ海上特攻隊ヲ編成シ、壮烈無比ノ突入作戦ヲ命ジタルハ、帝国海軍力ヲコノ一戦ニ結集シ、光輝アル帝国海軍海上部隊ノ伝統ヲ発揚スルト共ニ、其ノ栄光ヲ後昆ニ伝エントスルニ外ナラズ
各隊はその特攻隊タルト否トヲ問ワズ、イヨイヨ致死奮戦、敵艦隊ヲ随所ニ殲滅シ、モッテ皇国無窮ノ礎ヲ確立スベシ」
美文なり 
皇居遥拝 君が代奉唱
軍歌 各艦相呼応してこだまの如し
万歳三唱
清明なる月光 仰ぎ見る全頂 我ら何をか言わん」ととうとう出撃に出てしまった感が強まり、いよいよ豊後水道の中間に差し掛かった時には、
「艦船の先鋒はようやく水道の半ばに達せんとす 右に九州、左に四国、しかも制海制空権を占めらる」と解りやすい。
 それにしてもここまでくれば腹も据わっている。その翌日、決戦日となった4月7日黎明大隅海峡を通過、最後の朝食をとったあたりで
「朝食 今日を限りに我とは無縁の存在なり 何か訝しく、笑いをこらう 海飽くまでも青く、重き波舷側を打つ 九州最南端の陸岸 すでに艦尾方向に消ゆ 再び肉眼に内地の山野を見ることあらじ 刻々に遠ざかり離れ行かんのみ 今や一点の島影を見ず」となんとも切ない。

9時45分からまた哨戒に当たった。その日の14時には沈没することになるので、このあたりの時間は興奮と気負いとじわっとゆっくりとやってくる死の恐怖とない交ぜになってやり切れない気持ちだったろう。
「0945(9時45分)より哨戒直に立つ
ああ、われ「大和」最後の哨戒当直に当たらんとは
雲いよいよ低く、雲高千米 風速十米以上 驟雨あり 
哨戒至難 当直任務重大なり 
頬ひきつれる感あり 緊張のあまりか 艦橋中央の羅針儀台上に突っ立ち、汗ばむ掌に眼鏡を握りしむ・・・艦首今や敵方に正対す」
そして昼食は、「昼食 戦闘配食なり 壁に依り、片手に皿、片手に握り飯を持つ 気ぜわしき食事なり 最後の飯の味ならんか、夕刻までかかる余裕を保ち得るとは楽観し難し 暗き予感に刺されつつも、心こもれるこの門出の銀飯を食う いわんかたなく美味し 湯呑になみなみと熱き紅茶を啜る 温かく身ぬちにふれ 腹に沁みわたる
食後 艦長を中心に和気あいあいの歓談盛んなり・・・・
怒れるごとき朱面にかたく結べる唇 ただけいけいの眼光 一瞬慈悲を湛えるのを直視す・・・
鋭気俊敏の参謀ら、その眼差しにも柔和の光を見たり
満腹の倦怠 安堵のみの故に非ず
数歩を隔てずして死に行く我らに寄する 肉親にも近きいたわりなり」とある。最後なのに和気あいあいだなんてそういうことがあったんだって思うね。最後だからこそ和気あいあいなのか。

「奄美大島監視哨より「敵艦載機二百五十機北上中、厳戒を要す」との無電あり
1200(12時)今や征途の半ばに達す
全艦隊粛々と進む
司令長官左右を顧み、破顔一笑「午前中はどうやら無事に済んだな」
出撃と同時に艦橋右前部の長官席に就かれし以来の第一声なり 警戒序列、の之字運動型式の選択、速力、変針等、一切を「大和」艦長に委ね、参謀長の上申にもただ黙して頷くのみ
この後本艦の傾覆まで、砲煙弾雨のうち終始腕を組んで巌のごとく座す 周囲の者殆ど死傷するも些かも動ぜず 官を賭するまでの反対を遂に押し切られたる作戦なれば、長官としてこれを主導するを潔しとせざりしか
海戦史に残るべき無謀愚劣の作戦の、最高責任者として名をとどむる宿命への無言の反抗か
竹を割ったるごときの気風、長身秀麗の伊藤長官」と戦いに火ぶたが切られる直前の様子はこんな感じだ。

 次回こそ戦闘場面を紹介します。今日はこれまで。さいならさいならさいなら

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OFF ROAD BIKERS さんのコメント...

こんにちはブラジルから、我々はまた、マウンテンバイクが好きです。おめでとうあなたのブログ大きな抱擁します。 申し訳ありませんが、私たちは日本語を知らない、Googleの翻訳を使用します。 抱擁